秘伝 楊式府内派太極拳

起 源

…創始者・楊露禅は宮廷(=府内)で太極拳を教えるに当たり、真伝を隠したり嘘を教えたりする意図は毛頭無く、誠心誠意 教導し、自らの技芸の悉くを伝授した。楊班侯が入京して父親(露禅)の助手を務めるようになった後、父親が真伝の全てを満人に伝えていることを甚だ不満に思い、ある時門下生を集めてこう宣言した。「わが父は既に老齢であるから(訳注:オヤジの教えている拳法は役に立たないんだぜ、というニュアンスを言外に含ませたものであろう)、これから諸君が拳法を練習する際は全てこの班侯が教える架式に改めて大架のみを練習し、その他の套路は二度と練習してはならない。これに従えぬ者はわが門を去れ。」当時楊班侯は男盛りで実力も抜群であったから、門下生たちは皆 班侯の教えこそが正しいのだと信じた。唯一人 富周先生だけは楊露禅の拳法を変えることを拒み、その代わり自分が習った技芸を決して外に漏らさぬことを班侯に誓った。
(楊式府内派掌門人・李正老師の覚書から)


○皇家太極拳系列の系譜(李正伝)
1.楊露禅→2.富周(旗人)→3.富英→4.蕭公卓→5.?英波→6.李正(現・掌門人)
                      (5.?英波の姓は“櫂”の右側。テキ[zhai2])

○蕭氏内家拳系列の系譜(蕭鉄僧伝)
1.楊露禅→2.富周→3.富傑臣→4.蕭功卓→5.蕭鉄僧(蕭氏内家拳研究会理事長)
(名前に若干の異同があるが、富英=富傑臣,蕭公卓=蕭功卓であろう。また、ネームバリューは李正老師の方が高いが、血筋から言うと蕭鉄僧老師の方が嫡流に近いのではないか?と思われる)


※中興の祖・蕭功卓(公卓)
 河北省保定市の人。幼少の頃より実父について家伝の武術を修め、太極拳諸流派の他、八卦掌(李文彪直伝)・通背拳・形意拳にも精通、後に蕭氏内家拳を創始した。府内派第五代伝人の鉄僧は彼の息子。

 

(補 足)
楊式太極拳は楊露禅を始祖とし、その子 班侯、建侯を経て孫(建侯の子)の少侯、澄甫へと受け継がれた。特に楊澄甫が太極拳「大架」を広く普及させたことで、現在の「太極拳」のイメージが中国全土とその近隣諸国に定着したと考えられる。なお太極拳の諸流派(呉式、孫式、武式 等)は全て楊式太極拳から派生したものである。また、楊露禅は陳式太極拳の陳長興から拳を学んだとされるが、「太極拳」の名称を初めて使ったのは露禅の方が先で、ゆっくり動く練習法も陳式が楊式から逆輸入したもの、とする説もあり、楊式を陳式より下位の武術として評価することは必ずしも妥当ではない。

 

  

特 徴

“三体式”(形意拳や八卦掌と同様の歩型)を基本姿勢とする点が他の太極拳(概ね弓式)とは大きく異なっている。

※弓式:空手や少林拳によく見られる形で、後足を大きく伸ばし、前足を直角に曲げた歩型。
(↓陳式太極拳)

 
※三体式:歩幅はやや小さく、後足を曲げて前足にあまり体重をかけない姿勢
(↓蕭鉄僧 老師の「小架」「三十散手」のパッケージ写真)

 

一般に楊建侯(楊露禅の三男)は緩やかな動きの「老架」を伝え、少侯(建侯の長男)は速い動きの「小架」を伝え、楊澄甫(建侯の三男)はゆったりと大きく動く「大架」を伝えた、と言われているが、楊式府内派はその教授体系の中でこれら3つの套路(型)を全て網羅している。
@大架(初心者用の型。これのみが「弓式」→澄甫の型に酷似)
A老架(基本の型。これ以降は「三体式」 →建侯の型)
B小架(老架の動きをより小さく速くまとめたもの→班侯/少侯/呉図南の型)

(参考資料)
建侯の太極拳:
楊式太極拳述真(修訂本) (書籍,汪永泉 伝/魏樹人 編著)

楊建侯秘伝-楊式太極拳術述真
楊式太極拳術述真(書籍-5分冊,魏樹人)
楊建侯秘伝太極拳内功述真(CD-ROM,魏樹人)
楊建侯伝楊式太極拳伝統套路十三式(VCD,王殿禎)

少侯の太極拳:
楊少侯太極拳用架真詮(書籍,呉図南 伝/李[lian3] 編著)

楊式太極拳-小架及其技撃応用(書籍,于志鈞)
(以上の商品は全て「書虫データベース」に登録されています)
太極拳之研究(呉図南 講授/馬有清 編著 香港商務印書館→※特別注文)


また、いわゆる「太極拳」の套路以外に、内功を鍛練するための「十三丹(十三総勢)」、古伝の名を受け継ぐ「小九天」、肘打を多く用いる「後天法」等、速く激しい動きの套路/技法群を併せ持ち、単なる気功ではない格闘技としての体系が整っている。


…以上のことから、楊式府内派太極拳は始祖・楊露禅が残した真伝と完全にイコールではないにせよ、最も古い太極拳の一つであり、露禅存命当時の教授方式を最も忠実に保存している貴重な拳法ではないか?と推測される。

  

  

学習体系
(李正老師伝)

楊式府内派太極拳には10の套路(型)がある。簡単なものからよりレベルの高いものへ、智捶→大架→老架→小架→長拳→小九天→後天法→三十散手→十三丹→点穴法 の順に学習していくようになっている。他に太極推手、太極球、剣、刀、棍、槍等がある。

T「智捶」
初めて太極拳に触れる人が学習する入門型で、太極拳の中に出てくる幾つかの基本動作を組み合わせたもの。太極拳とは如何なるものかを理解するための拳であることから、“智”捶 と呼ばれる。ヘイ身捶、搬ラン捶、栽捶、指トウ捶、肘底捶 等の拳打で構成されるところから「太極五捶」とも呼ばれる。
参考:
楊式府内派皇家太極拳之一-智捶(VCD、李正)

U「大架」
初心者のための型。気を静め、連綿不断にゆっくりと大きく弓歩を用いて行う。血気の通りを良くし、筋骨を丈夫にする効能がある。府内派の大架は現在広く行われている八十五式や八十八式と概ね同じである。
参考:
楊式府内派皇家太極拳之二-大架(VCD4枚、李正)

楊式太極拳伝統套路八十五式(VCD6枚、李正)
大架(VCD3枚、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列

V「老架」
拳式と動きは大架とほぼ同じに見えるが、三体歩を用い、型に緊張感と正確さが求められる。身法・手法は実戦での動きに通じるものである。府内派太極拳の基盤を成す套路と言える。
参考:
楊式府内派皇家太極拳之三-老架(VCD4枚、李正)

老架(VCD3枚、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列

W「小架」
老架に習熟した後、更に功夫を深めるために修練する套路で、打拳は速い。その手法、歩形、身勢、心意の働かせ方も老架と同じではなく、太極拳の高級功夫に属するものである。一つ一つの動作が全て実戦での働きに一致し、時に「フン!,ハ!」の発声を伴い、喜怒哀楽の感情を表出させる。この套路に習熟している者は、近年稀である。
参考:
小架(VCD2枚、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列

X「太極長拳」
太極拳には37の拳式があるが、それら1つ1つを単独に練習し、習熟の後 任意の組み合わせによって演武するのが長拳である。したがって固有の型というものはなく、演者の嗜好、思惑、レベルによって変化する。呼吸と内功を重視するところから、「先天拳」とも呼ばれる。
長拳(VCD、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列

Y「小九天」
小九天は呼吸と内功を統一するための套路である。その名称は「宇宙は9つの階層より成っており、人もまた小なる宇宙(=小九天)である」とする道教の考え方に由来する。大自然の力―風、雨、雷、電 等を人体で再現することを主眼とし、太極拳の「剛柔相済」の理念を具現したものである。
参考:
小九天(VCD、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列

Z「後天法」
肘法、膝法の多用と明確な発力によって人間の攻撃本能を顕す。先天拳(長拳)と好対照を成す。
参考:
後天法(VCD、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列

[「三十散手」
30種類の技撃手法を組み合わせたもので、楊式府内派の精髄とも言える。
参考:
三十散手(VCD、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列

\「十三丹」
十三内丹功法とも言う。13種類の動物の姿態を取り入れた動作で内功を養うところから この名が付いた。太極拳の高級功夫に属する。
参考:
十三総勢(VCD、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列

楊建侯伝楊式太極十三丹(VCD、王殿禎)

]「点穴法」
上述の9つの技法を全て習得した後に初めて伝授される奥伝である。24の手法と72の変化技があり、指突、拳打、肘打、擒拿を駆使して行われる攻撃の応用変化は無限である。学習者はまず人体各位のツボの位置、名称、作用を正確に記憶し、更に指を鍛え、攻撃に有効な速度・角度をも研究する必要がある。

(その他の功法)
太極推手(VCD、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列

太極剣(VCD、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列
楊建侯伝楊式太極十三剣(VCD、王殿禎)
楊建侯伝楊式太極十三槍(VCD、王殿禎)

楊式府内派皇家太極拳之四-太極球(VCD、李正)
武当養生功法(VCD、蕭鉄僧)-武当金蟾子派智伝蕭氏内家拳-太極系列

(以上の商品は全て「書虫データベース」に登録されています)

 

 

感 想

府内派太極拳を本格的に研究してみたいという方には、蕭氏内家拳の蕭鉄僧老師のVCDをおすすめしたい。
一方、李正老師の太極拳は柔軟性に富んでいて大変美しいので、表演大会への出場を目指しておられる方には特に「大架」、「老架」あたりのVCDは一見の価値があると思う。
なお、蕭鉄僧老師のVCDの中に、「私の父(功卓)は“客観的な原因”により、智捶・点穴法は授けられなかった」(古伝にはもともと無かった、という意味なのか?)とか、「皇家太極拳という呼び名は適切ではない」とかいった発言があり、敵対関係とまでは行かないまでも、蕭氏内家拳と皇家太極拳とは現在あまり友好的な関係には無いようである。

蕭功卓(第4代)・蕭鉄僧(第5代)・李正(第6代)の三氏は、太極拳と併せて形意拳・八卦掌を修めておられる点が共通している。蕭鉄僧老師のVCDで「小九天」以降の型を見てみると随所に八卦掌そのままの動きが取り入れられており、府内派太極拳が特に八卦掌の影響を強く受けながら発展した拳法であることが窺われる。
そもそも楊式太極拳の開祖と八卦掌の開祖は同時代の人で、
楊露禅(1799〜1872)
董海川(1797〜1882)
共に清朝の王府でそれぞれの拳法を教授している。
のみならず、一度試合をしたのが縁で親しく交流したという説もあるので、府内派太極拳が草創期のかなり早い段階で八卦掌と融合していた可能性も否定できない。(楊班侯に教授を拒まれた富周が体系の未完成部分を補うために八卦掌を導入した可能性もあるし、第4代伝人の蕭功卓が同様のことを為した可能性も考えられる。)

また、映像資料が少ないため詳しくはわからないが、李正老師の府内派太極拳は蕭氏内家拳ほどには八卦掌的ではなく、むしろ形意拳的な趣きが色濃く出ているようにも感じられる。

いずれにしても、「満州族の太極拳」という特異な宿命を背負ってスタートしたがために、百年以上もの長きに渡って日の目を見ることのなかったこの非運の拳法を格闘技として再起動させるためには、八卦掌・形意拳を補助プログラムとしてインストールする必要があるのかも知れない。

※最もコンパクトで安上がりな研究資料としては、程式八卦掌の大家・劉敬儒老師のVCD+書籍が良いのではないか…と思ったりする。

程式八卦掌(VCD、劉敬儒)
八卦掌-中国武術経典[xie2]英(劉敬儒)

形意拳(VCD、劉敬儒)
形意拳(孫汝賢=劉敬儒の弟子)

(以上の商品は全て「書虫データベース」に登録されています)

 

(将来の展望…というよりも希望)

「千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず」とは中国の韓愈の言である。
日本では、福昌堂・ベースボールマガジン社・BABジャパンのいずれかの伯楽殿が動かない限り、いかなる名拳も市民権を得られないことになっている。
楊式府内派太極拳は、数年前に東京都内で講習会が行われたという記録が残っているだけで、その後 国内で目立った活動が行われた形跡は無い。
私どもマニアとしては、三社の今後の活躍を切に期待するのみである。

(2005年1月16日 修正)